榛原日誌

榛原トリコの日々のクロッキー。

1月12日

年末年始、とにかくいろいろいそがしく、いそがしくなくなったら体調を崩し、治ったら仕事がいそがしく。

 

サンタは無事にやってきた。

娘にはシールブックやカレンダーやティアラなどの詰め合わせを、私には鳩時計を、夫には世界地図の絵本を置いていったくれた。

私と娘がずっと欲しかった、無印良品の白い大きな鳩時計。おもちゃのある部屋に取り付けて、娘はしばしば思い出したように、ママ、サンタに鳩時計がもらえてよかったね、ママ欲しかったもんね、と言ってくれる。

 

それから4年ぶりに義母と会う。

というか、義母の体調などいろいろあった夫側の家族だったがはじめて全員で会うことになったのだ。

ほぼはじめて会う義母にも義妹たちにも、娘はすっとなじむなにかがあったように見え、それが血なのかもしれない。これからは毎年年末にこうして会いましょうと義母が言った。とてもうれしいこと。

 

妹とはなかなか会えない。妹の三人の息子の誰かしらが病気になってしまうので。

正月も、例年妹の家でやることになっていたのだが、無事な二人だけを妹が連れて、実家で行い、働くだけ働いて、あっという間に帰っていった。

 

母は、もっと身体に合う痛み止めを探るために、もう少し入院することになった。

病院の中なら痛み止めが合わずに具合が悪くなっても安心だということで。

大晦日から2泊3日だけ家に帰ることにしたので、母も実家でお正月を迎えることができ、私も父も、自分の用意したお節を母に褒めてほしくてうずうずしていた。お年賀に母に渡したお菓子の詰まっただるまの容器に、頼まれて娘は黒い目のシールをぺたりと貼った。

 

台所の蛍光灯が壊れ、それが中国製のために壊れたら製品まるごと取り替えということが判明し、応急処置的に取り付けられた電球が、ぶらんぶらんと下がったまま年越しをした。

おまけに大掃除でレンジフードを掃除していたら、換気扇が動かなくなった。料理をする度に勝手口を開けなくてはならず、寒い。業者は明日ようやく両方のことで来ることになっている。

 

友人にもたくさん会った。

芸術にもふれた。

出かけることが多くて、過敏性腸炎の薬を毎日のように飲み、緊張が高まりそうな場面の前には漢方薬を飲んで乗り切った。

冬休みが開けて仕事が山盛りででかけられず家にこもっていると、自然と薬はいらなくなり、そのかわり、喉を痛めて熱もないのに疲労感で起き上がれなくなり寝込んだ。きっとまたストレスだなんだといわれるやつだろう。

 

占いによれば、私は2016年の秋口からの一年間、12年に一度の大きな変化が起こるらしい。

これからの12年を生きていくための始まりの期間。それは産みの苦しみのようなたいへんな時期になるらしい。楽しみのような憂鬱なような。

前回のはどんなだっけ、と思い返してみたら、それは丁度、夫と付き合いだした頃のことで、思わず、はあ、なるほど、と娘の寝顔を見る。

私は頼りないその人に、結婚して子どもを産んでほしいと言われ、とても悩んで、妹とイトコに後押ししてもらって決心し、それまで吸っていたタバコも辞めて、弁当を作り出し、それで二人で貯めたお金でマンションを買い、就職活動でいい線いっていた会社の面談日に祖父の葬儀が入り、初孫の私はそちらに出なくてはならずに断念し、母の店の仕事の手伝いをし、妊娠し、出産し、今の系統の仕事の話がふらっと来て、そのまま家で仕事をするようになり、マンションを売ってそのお金で車を買い、縁もゆかりもない湘南の賃貸の一軒家に引っ越し、運転免許を取り、幼稚園で気の合う人とたくさん会えた。

 

そのほとんどが、12年前には信じられなかったことだ。

まとめて書くと計画的なことが多いように見えるがそのほとんどが「起こってしまった」のでそれに合わせて仕方なく慌てて動くことになった、という変化続きで、いつも岐路には思い通りにいかずに悲しくて悔しい気持ちばかりだった(就職もできず、都内でも越せず、保育園にも入れず、等々)と思っていたけど、案外今自分はとても幸せに暮らせている。 

が、また、悲しくて悔しい、辛い気持ちになる岐路が待っているのだろうかと思うと、かんべんしてほしい。それとも私の希望が、常に私の道に合っていないということなのだろうか。

 

3学期が始まった。

幼稚園の園庭にはお正月遊びのものがいろいろ置いてある。朝夕、送迎時に子どものはねつきの音を聞くことの、なんとのびやかな気持ち。山々にこだまする、はねつきの音。