榛原誌

榛原トリコの日々のクロッキー。

5月22日

忙しい日々。9連休のつけがまわってきているのと、園行事が多いのと。

先々週は週に3回、4つの行事で幼稚園に行った。

今日は母親によるクラスランチ会で、10日間かけて減らした体重1kgがたった1日で戻った。

 

毎日日差しが強く、晴天続きで庭のクレマチスが枯れそうだし、ラベンダーは2片しか咲いていない。

今、花壇の主役は白いバラで、日々大きく花を開いており、他の植物たちはじっと黙っている。

私は稲科の花粉にかなりやられている。杉やひのきは今年は平気な感じだったのに。

 

来月、娘はいよいよ親子水泳を卒業し、先生と生徒だけで習う通常のスイミングスクールにあがることになった。

娘はスイミング自体は大好きなのだけれど、怖いから未就学児でいるうちは親子水泳をギリギリまで習いたい、と言い続けていた。しかし娘の泳力がもう親子水泳で対応できなくなってしまったこと、新しい環境に慣れるのに少し時間がかかる娘なので小学生にあがったタイミングでこちらもというよりは、というのと、夏になるとスイミングスクールが混み始めて希望の時間帯に入れなくなったりするので、今の方がいいと判断したのだった。

友だちとならという条件で、同じく親子水泳を習っている子と体験をしたとき、娘は最初は友だちとはしゃいで楽しそうだったが、泳力で友だちとレーンが分かれると、途端に不安になり始め、帽子が脱げそうだとか先生にしめられたゴーグルが痛いとか言って、しまいには泣き出した。申し込みに渋る娘に、友だちが「私もすぐあなたの級にあがるから待ってて!」と言ってくれた。

 

プールサイドで見ていた私は、娘が水面に立ち尽くし泣き出す前の顔を見たとき、ほんとうはかなり動揺した。がんばりたいのに不安でできない、という娘の悲しみがその目から私に流れ込んで来て、抱きしめて、もうやめようという言葉が口をつきそうになった。その呼応の仕方に、私は動揺したのだった。私はこんなに娘の気持ちがわかるものなのか、ということと、そうしたときに私はこんなふうに思うのか、ということに。もっと笑って「大丈夫大丈夫、やれるやれる〜!」と突き放して励ます自分だと思っていたのに。例えば自転車の練習や、遊具やなんかのときと同じように。どうしてこのとき、私は彼女に同調したのだろう。

 

母の日には、娘は夫にカーネーションを買わせ、自分は手紙と、幼稚園で作ったアクセサリーと、折り紙で作ったネックレスと腕輪をプレゼントしてくれた。

私が庭から家に入ると、娘が夫にはやく、とかこれもって、とか言っている声が聞こえ、リビングをのぞくと、娘は私へのプレゼントを全部身に付けて、鼻息荒く、こちらをむいて興奮した笑顔で立っていた。まだ入ったらいけなかったのかな?と聞くと、いいんだよと言って、娘は感謝の言葉をのべてくれた。

その赤いカーネーションは、庭の鉢植えに植えた。

 

白のカーネーションを携えて、母の墓参りに行こうと思っていたが、忙しくて未だ行けていない。

去年の母の日は、もう余命宣告のあとだったから、でも大げさにしないよう、一輪だけ買って、牛乳瓶の中に生けて、窓際に飾った。これが最後なのだと思いながら思わないように。

 

母が死んで、私は娘ではなくなった。私は母親なだけだ。

 

ランチ会で、もう5月も中旬なんて早すぎる〜という声があがったが、私はまだ、これでも、5月半ばなのかと驚く。未だにひとつも慣れきらない。幼稚園なんて、6年間くらい通っている気分だ。